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2014年10月21日火曜日

2014年、灘のけんか祭りに行ってきた その4(動画⑦⑧)御旅山への旅



PREV↓
その3、「牛スジ入りたこ焼きは美味い」からの続き。


動画に合わせて書いてます。
この記事は動画⑦~です。
全体の流れを知りたい人は最初からどうぞ。




ここからは動画⑦



動画⑤で松原八幡神社から出た屋台に続いて御旅山へと向かう。
本当は動画⑥で出た屋台について行こうかと思っていたが、広場一周に忙しそうなので先に出た屋台を追いかけることにした。
動画の最初は神社の西門前。小学校横から。

この道を歩き出してから思う。
道にゴミ落ちすぎ。
原因はゴミ箱がどこにもない事だろうか。まぁそれはよくあることだが。
こういう行楽のゴミは持ち帰るというのがマナーだとは思うが、そもそもの話、ゴミを持ち帰ることがまず不可能な格好の人が大量にいるということ。
ゴミ箱がなくて、ふんどし一枚。そうなるとゴミをどうするかなんて、ね?
そりゃ「ゴミを捨てるな」とはどこにも注意書きも出来ないわな、という感じはする。
ちなみに、自分は初めからゴミ箱はないものと考えていたので、ビニール袋は持って行っていた。
おかげで小さいカバンが閉まらなくなって困った。

屋台に続いて道をずんずん進む。
この道って昔ながらの風景が残っていて中々風情がある。
こういう店とかも凄くいい感じ。
機会があれば祭り以外でも一度来てみたいと思える風景だった。
詳しくは動画⑦をじっくり見てね!(宣伝)

こちらは屋台蔵だと思われる。
屋台蔵とは、屋台を普段収納しておく場所。
話はズレるが、この『屋台』という名前。兵庫県以外では通用しない地域がほとんど。
昔、大阪で地元の秋祭りを説明しようとして困った。
「屋台をかつぐ」と言っても屋台が何か理解されないし。
屋台は祭りでたこ焼き売ってるアレのことを指すから余計に話が通じない。
言葉で色々説明したら、「それは神輿だろ」と言われてしまう。
まぁ、だんじり人に説明したのが悪かったのかもしれないが。
だんじり人は、日本の祭りと言えばだんじりだろう、と本気で考えてそうなところがあって、あまり他地域の祭りに興味がなさそうな感じ。
他の地域の人ならわかってくれたかもしれない。

御旅山が近づいてくる。
山肌に人、人、人。
ここが実質、祭りのメイン会場だ。
心なしか担ぎ手達もヒートアップしている気がする。






ここからは動画⑧
目立つサムネイルを付けたほうが再生回数が上がる、という話を聞いて。
物は試しと、今回はサムネイルありとサムネイル無しで作っていたが、見事にサムネイルの有り無しで再生回数に差がでた。
というわけで、とにかく何でもいいから目立つサムネイルを色々作ってみた最終形態がこれ。
動画①のシンプルなサムネイル画像が懐かしくなるほど色々やってしまった。



御旅山へ到着。
うん…。人が多すぎる。
人が多すぎた結果、交通整理によって立ち止まることが不可能に。
つまり、ここでの見学は不可能。
本当にどうしようかと思いながら人の流れに乗ってそのまま抜けることに。
もう帰ろうか、どうしようかと考えていたところ、皆が上がっていく階段を発見。
とりあえず登ってみることに。

ちなみに、練り場はこんな感じ。
メイン会場と言われるだけはあり、活気がある。

動画では階段を上がっていく途中で撮影をストップした。
本当は頂上まで撮影するつもりだったが、前にBlogで書いたように、どう観光するべきかわからず、予定が立てられなかったために、電池配分をミス(言い訳)
この時点で3個あった電池の内2つを使い果たし、3つ目も半分ほど使ってしまう。
仕方なく節約のために電源を切ることにした。
この後の動画が少ない理由の大半はこの電池配分ミスが原因。
あともう一つの理由は、坂を下から撮影する場合、あらぬ疑いをかけられかねないと思ったから。
普通の人は屋台や神輿を撮影しても、祭り会場の横にある階段を撮影する人なんていないだろうし。
余計に怪しく見える。

そんなこんなで色々あって、ここからは写真撮影が増えました。

中村の屋台に付いて山を登って数十分。頂上に到達しました。
小さい山なので、すぐに頂上まで辿り着けます。
途中から屋台のペースに合わせましたが、それがなかったらもっと早く着いていたでしょう。
ちなみにこの隣の山には黒田官兵衛の父が隠居城とした国府山城跡があります。
帰りはそちら方面を通ったので山自体は見えたのですが、 真っ暗闇だし、三脚もないし、そもそも電池もないし、撮影は不可能でした。

そしてこれが頂上からの景色。
端から端まで高圧電線が埋め尽くす大絶景となっています。
後ろには海まで見えていますし、電線も。
左の端には島まで見えています。そして電線も。

さて、祭りの大まかな流れですが。
松原八幡神社から出発した屋台はこの御旅山へと到着し、下の練り場で練り合わせ、差し合わせを行ってから御旅山へと登って行きます。
山を登るというのは、 屋台を引っ張って登るのではなく、担いで登るわけです。
当然ながらそれなりに時間もかかります。
その後、山頂で儀式。
そしてまた担いで下山。
最後に気が済むまで下の練り場で練り合わせるのが流れ。


御旅山山頂から少し降りた位置にある広場から見た景色。
左下にある作業小屋が邪魔で、下の練り場が見えるポイントが少ないです。

これが一番良いポイントで撮れた写真。
綺麗に見えるスペースは30人分もないだろうなぁ。


正直なところ、このあたりで疲れがピークに達しました。
その3、の最初でたこ焼きを食べたところ以外ではずっと立ちっぱなし、歩きっぱなし。
そして山登り。
山頂のスペースも地元の町内会が押さえ済み。
人も多くて、そこらに腰を下ろすこともままならない。
とりあえず、もう細かいことを気にしてるほどの余裕もなく、テント脇の狭いスペースにある土手に腰を下ろすことに。
小さいレジャーシートでも持ってくればよかったと思う。
飲み物は山頂にあるテキ屋でペットボトルを購入。500mlで200円。
人が多すぎて、ちょっと下まで買い出しに行けるような状況ではない今、良心的だと思える。
しかし、上で紹介した動画⑦の昔ながらのお店で購入しておかなかったことを少し後悔。

少し上に祭りの大まかな流れを書きましたが。
上の写真にあるように、まだ下で練り合わせをしています。
つまり屋台が山を登ってくるのはこれからとなります。
隣に座っていた若い女の子が「遅い、遅い!」と愚痴ってる話を盗み聞きした感じでは、この時点で2時間以上の遅れが発生していたとのこと。
というわけで。
 これが。

こうなるまで待ち続けて、やっと登ってきて。

こうなった頃にやっと最後の屋台が登り。
下山が開始される。

この時は疲れて死んだ魚のような目をしていた気がする。
もしその顔で小赤壁にいたら通報されてた自信がある。
(小赤壁とは、この近くにある断崖絶壁。中国の赤壁に似てるからそう名付けられた)


写真や動画の時刻データを見てみたところ、山頂に到着した時間が16:20前後で、屋台が下り始めたのが18:20分前後だから、2時間ほど待った計算になるのかな。
まぁ横の女の子が愚痴りたくなる気持ちはわかる。
ここの祭りは女人禁制。
動画を見ているとわかると思うが、見物している女性がかなり多い。
これは女性が祭りに直接参加出来ないために見物客となるからだと思われる。
灘の男にとって、祭りは人生かもしれないが。
女の子からしたら、何かに関われるでもなし。
それでも自分の地区には顔くらい出しておかないと色々あるのかもしれない。
実際、「祭りにまったく興味がない」と言いながら屋台の後ろを歩いてた女の子もいた。
飽きたから帰る、ってわけにもいかないんでしょうな。
そういう話はうちの地区でも少なからずあるので理解出来る話。

電気をつけながら登ってくる屋台。
ホタルイカでも釣れそう。
右隣で愚痴ってる女の子情報&左隣の情報通おじさんの解説を聞く限り、登りで電灯つけるのは異例だとか何とか。

下ってくる神輿。
この後、下の練り場でぶっ壊されることになる運命。

太陽が沈んで少しした頃。
隣の女の子が「寒い寒い」と言い始める。
そんな言葉を聞いていると、こっちもどんどんと寒くなってくる。
ここで「その2」で立てたフラグの回収。
昼間はあんだけ暑いと思っていたが、厚着してきて良かったと心から思う。
いや~、厚着してきて良かった!


夜の練り場。

しかし厚着しててもやっぱり少し肌寒い。
目の前のふんどし野郎共は本当に凄い。
それ以上に、ふんどし一丁でコーラフロート食ってる目の前の少年のほうが凄い。
お前の腹は本当に大丈夫なのか?

このあたりで本格的にもう帰ろうかと思い始める。
山頂にあった屋台も神輿もほとんど下山した。
練り場は満員すぎて見学出来ない。
カメラの電池も切れた。
これ以上、この祭りの場にいても何も見れないし、撮影も出来ない。
そう思って適当な屋台に付いて下山することに。
しかしここからが長かった。

動画にも写っているが、ここの山道は自動車が通れる程度の幅はある。
しかしながら、今は屋台がその道幅をほとんど占領しているし、前後にも長い列があるからほとんど通行出来ない。
屋台を担いで行くのが伝統。なので少しずつ休憩しながら下りてるため、スピードも出ない。
当然ながら夜の山道だから足元は見えない。
更にやっかいなことに、この時間になってもまだ登ってくる人が目茶苦茶多い。
屋台を担いでいる時にその横を通るのは自殺行為でしかないから、屋台が動いてる時は大人しくしてるしかないし。
結局、下りた時は20:30分くらい。
つまり1時間ほどかかったことになる。

後からGoogleマップを見る限りでは、山頂から妻鹿駅側へ抜ける道が確認出来たが、本当に使えたのかは謎。
少なくともテキ屋があった場所の裏あたりなので、隠れて見えなかったし、他の人も使ってなかったように思う。

これが下りてきた時の階段。
一見すると空いてるように見えるが、あまりに人が多いために警察が登りを禁止し始めたからそう見えるだけ。
この階段の上の部分が本当に酷かった。
無理矢理上がろうとする人と下りようとする人で押し合いへし合い。
屋台が動いてる時は動けないのに、無理矢理上がろうとする人がいて、どうにもならず。
キレた若い男が赤ちゃん抱いてる若い女性をタックルで突き飛ばして無理矢理押し返そうとして大惨事になりかけた。
一瞬、明石の花火大会での子供圧死事故を思い出したほど。
本当に、本当に丁度タイミング良く、その瞬間に一人の警察官が上がってきて割って入って事なきを得たが、あれは警察が来るタイミングが少し遅かったら階段ドミノで大惨事になってもおかしくはなかった。
恐らく自分も巻き込まれて、こんなBlogとか書いてる場合じゃなかったかもしれない。

帰るため、山陽電車白浜の宮駅に向かおうとするも、この人混み。
この周辺は地理的に山と山の間の谷底。
来た時に通った練り場の前を通らないと白浜の宮駅方面には出られない。
だがこの人混みでは通過するのも大変そう。
さっきまで人混みに揉まれていた身としては、もう人混みは遠慮したいところ。
こりゃ駄目だ、とすぐに諦めて方向転換。

反対側は寂しい感じ。
さっきまでの喧騒が嘘のよう。

振り返って撮影。
一人だけパーティーから締め出されたような物悲しさがある。

元々、白浜の宮駅側から帰れない場合は妻鹿駅まで歩くつもりだったが、本当にそうなるとは思ってなくて詳しい道を調べてなかった。
少し進んだところにいた交通整理のガードマンに妻鹿駅までの道を聞いて進む。

右折してすぐ。
更に寂しい雰囲気に。
この後はもっと人通りも明かりもない地域を歩くことになった。
はっきり言って女性にはオススメしない帰宅コース。


このまま十数分歩いて妻鹿駅へ。
そのまま鈍行で帰宅。
今日はここまで。お疲れ様でした。





まとめ
良くも悪くも地域の祭り感がある。
岸和田のだんじりなど、大きなお祭りとは違って観光客を呼び込んで地域の活性化を目指すような意図はほとんど感じられない。
だがそれ故に伝統を感じることが出来る。
地元民による地元民のための祭り。
下手に観光客に媚びて痛々しい感じになるよりは良い。
外からの観光客は祭りの邪魔にならないようにひっそりと溶けこむ。
動画を見たらわかると思うが、観光に来てる外国人ですら溶け込んでいる。
それがこの祭りの『外』からの楽しみ方なんだろうと思う。



関連記事
灘のけんか祭り観光ガイド(本宮)最初から最後まで、見どころ教えます!

2014年10月20日月曜日

2014年、灘のけんか祭りに行ってきた その3(動画⑤⑥)牛スジ入りたこ焼きは美味い



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その2、「動画④は見所一杯」からの続き


動画に合わせて書いてます。
この記事は動画⑤~です。
全体の流れを知りたい人は最初からどうぞ。




ここからは動画⑤



いきなり最初に腹ごしらえ。
何を食べるか迷って、すじ肉入りたこ焼きを購入。
ダシがしっかり効いていて中々美味しかった。
道路に置いて撮影したのは、他に落ち着ける場所がどこにもなかったから。
今回の撮影で一番困ったのがこれで、ちょっと休憩出来るポイントがないから常に立ちっぱなし。
本気でキャンプ用の折りたたみ椅子でも持ってくれば良かったかと思うほどには難儀した。
恐らく、灘のけんか祭りを朝から全部見学しようとしている人が一番困るのがこれだろう。

さて前回、各地区の宮入り宮出しを見て、練り番である木場の宮入り宮出しを見て、もう既に松原八幡神社での行事は全て終わったものだと思い、そろそろ御旅山へと移動しようかと考えながら神社の西側へ移動したら境内から掛け声が。
慌てて西門から境内へ。

上手い具合に差し合わせを撮影することが出来た。
恐らく、東山と八家。




ここからは動画⑥


宮出しを撮影。

だが、今から動画⑥をチェックしてみると、門を抜けて広場一周する動画が抜けていることに気づく。
編集する時も何か短いから変だとは思っていたが抜け落ちだったとは…。
6.5としてアップロードするかはそのうち検討。

しかし、事前の予定表を見てみると、練り番が神輿を宮から出して、その後に各地区が宮出しするはずだが、動画③の時点で既に宮出ししている屋台があるし、イマイチ合わない。
祭り全体の進行に遅れが出ていることと何らかの関係があると予想される。
恐らく、順番を変えたり何かがあったのだろう。




NEXT↓
その4、「御旅山への旅」へと続く。 


関連記事
灘のけんか祭り観光ガイド(本宮)最初から最後まで、見どころ教えます!

ありがとう、youtube動画1000access。そして今後の予定

動画を投稿し始めて一ヶ月と少し。
ようやく合計再生数が1000回を突破しました。




姫路という町は京都や東京のような文化や娯楽の中心地には敵わないのは当然としても、一般的な市区町村と比べると人口や観光資源の面でかなり恵まれているとは思います。
しかし所詮は日本という国の中の、一つの地方都市。
この小さな町で作る動画をアップロードして、youtubeというグローバルな場においてどれだけ人の興味を惹きつけられるものなのか、疑問と不安はありましたが、「とりあえずここまではやれた」という感じでしょうか。

元々、数年前にニコニコ動画が一般化し始めた頃から「ネットに動画をアップロードしてみたい」、という思いは持っていたのですが。『何を題材に動画を作るか』という一番重要な部分が決まらず前に進めない、というよくあるパターンで数年が経過。
よくある話ですよね。
そんな中、契機となったのはNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の放送。
なにしろ主人公、黒田官兵衛の出生地で、物語の舞台ですから。当然、少なからず注目は集めます。
それに姫路城の大改修。
姫路という町がこれだけ注目されるのは、悪いニュースでもない限り今後数十年はないんじゃないかと思います。
それなら、姫路という町で動画を作るのは今しかないのではないかと考えました。
まぁ大河ドラマを好んで見るような年齢層がyoutubeなんてチェックするのかという話もありますが。
地方都市にしてみたら、こうやって話題になって認知されるだけでも大きく違うわけです。



さて、そんなこんなで動画を投稿してきたわけですが、この前投稿した動画で『2014灘のけんか祭り動画シリーズ』もPart⑧でやっと投稿完了しました。
本来ならきっちりカットしたりして見どころを集めた動画にするのがいいのかもしれませんが、あえてカットは少なくして、映像処理もほとんど入れてません。
出来る限り流れが意識出来るように作ったつもりです。
個人的に見所だけでなく、こういった全体の空気感がわかる動画が好きなんです。

しかし、youtubeにおいて長い動画は最後まで見てもらえない、というのが定説で、実際のところアップロードした動画の統計データを見てもそれは証明されていると思います。
なので、灘のけんか祭りについて3分程度で理解出来る動画を作成するつもりです。
その作業と前後してファンファインダーとブランディングイントロの作成もしたいと思います。
もっと早い段階で作ろうかと考えてましたが、祭りの映像が欲しくて今まで待ってました。

そして前から予定していたように、灘のけんか祭りについて、地元民ではなく観光客でもわかりやすい見どころと注意点などをまとめたいと思ってます。
今のところBlogにまとめるか、それとも動画を作って動画と連携するかは未定です。
まぁ動画Blogなんだから動画使えよという話なんですけどね。

2014年10月18日土曜日

2014年、灘のけんか祭りに行ってきた その2(動画②③④)動画④は見所一杯



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その1、「神社一周してるだけで申し訳ない」からの続き




その1で紹介した動画①は時系列がバラバラの動画を繋ぎ合わせて神社一周動画にしましたが、ここからの動画は基本的に全て時系列通りに編集しています。






この日、2014年10月15日。
予定していた電車に乗り遅れたり、なんやかんやで11:30分頃に山陽電車白浜の宮駅に到着。
事前に得ていた情報によると、9:00頃に各屋台が到着し始め、12:00頃には宮入りが終わっている予定となっていたので、どうなるかと思ったが、結果的になんとか宮入りを見物することが出来た。
後で知った情報を総合するに、この時点で既に1時間近く遅れていたらしい。

まず電車を降りて改札の真ん前に『灘のけんか祭りガイドブック』を売る特設販売所が。
これも事前に情報を得ていたので、さくっと200円で購入。
ぶっちゃけると各地区の紹介がほとんどで、ガイドブックと名乗れるほどの情報量はないが、各地区の特色と、簡易的なスケジュールが書いてあるので便利ではあった。

駅を出て、松原八幡神社へと歩き出す。
と、まず見えて来たのがトルコ人?がトルコアイスとケバブを売るお店。

何故にここでトルコアイスなんだ?
というつっこみは野暮というもの。
華麗にスルーして先を急ぐ。

東側の門から中へ。
太鼓の音が聞こえてくる正門側へとすぐに行こうかと思うが、思いとどまる。
奥側へとぐるっと周って西側から正門側へ。

正門である楼門側に行くと、この人の多さ。
この時点で少しゲンナリ。
近づくともっと人が多い。
門の前はもうビッシリ。
なんとか頭の上に手を伸ばして撮影は出来たけど、普通に見学するのは難しいと感じた。
建物の近くに人が集まっているのは、ここに石段があって少しだけ高台になっているからみたい。
本気で見学したい人は早めにこういうスペースを確保している模様。

暫くすると警察官が道を空けるように誘導。
慌てて神社側へ寄って避難。

屋台がすぐ横を通過してそのまま境内を一周。
このままこの場所にとどまって次の宮入りを見学するか迷ったけど、この屋台の後ろについて行くことに。

結局、撮影しながら一緒に境内を一周。
だが、宮出しの順番待ちをしている時間が長かったので、東門から外に出て別の場所を見に行くことに。




ここからは動画③



神社の外に出て、神社前の練り場に移動。

楼門前に来ると、丁度さっきまで後ろを付いて行った妻鹿?の屋台が宮から出てくるところだった。
そのまま宮出しと練り合わせを見物。
この後、動画では練ってる屋台をほっといて、くるりと背を向け南側へと歩き出すが、 ただトイレを探して彷徨っただけである。
こんないい天気で暑い日に少し厚着をしてしまったのが失敗か、水分補給が多くなったのが敗因か。
この時はこの厚着を後悔したが、後々これがファインプレーへと繋がるとは、この時はまだ誰も気づかないのであった。

と、変なフラグを立てて次へ。
この後、宇佐崎とか中村とかの宮出しも見学。
宇佐崎と中村は色がはっきりしててわかりやすくていいね。
赤系統のところはわかりにくい。

このように立派な観覧席が。
一般客は立入禁止。
他のブログによると、この地域の人だけ抽選で選ばれるとか何とか。




ここからは動画④
NADA-NO-KENKA-MATSURI と、パンクなスタイルな文字は気にしない。
そんな大した意味はありません。



トイレを終えた後も引き続きこの場所で見学。
さて、動画の最初に登場する緑色が目印の人達は『木場』の人達です。
灘のけんか祭りの見どころの一つは3つの神輿をぶつけあって壊す行事で、この様が『けんか祭り』と呼ばれるようになった所以ですが。
この神輿を担ぐ役目は、祭に参加する7つの地区が順番に担当。
それを『練り番』と言います。
そして2014年、今年の担当が木場地区。
担当になった地区は15日の本宮では屋台を出さず、こういう形で宮入りすることになります。
騎馬戦みたいに上に乗っている人は総代・副総代など、その地区の祭りの顔役だとか。
こうやって何度も境内を出たり入ったりするのですが。
昔はこの赤い鳥居の向こうに海があったとかで、海で清めて宮入りする、という意味なんでしょう。

そのあたりの詳しい説明は別の動画で。
http://youtu.be/hOdKW2G7NbA
境内の放送席からの解説の動画です。
3分ほどあるので別の動画にわけました。

この行事が終わると、いよいよ御旅山への出発となります。

わかりにくいかもしれませんが、クリックで大きい画像になりますので、それで見て下さい。
宮司、巫女が御旅山へと出発。

その後に三台の神輿も出発。
動画を見たらわかると思いますが、神輿が道を空けて左右に分かれている人垣の中に突撃。
小さい子供を抱いてるお母さんもキレ気味。
全員が急いで退避。
はっきり言って、この場所は小さい子供にとっては大変危険。
いやおっさんにとっても大変危険。
すぐに動けるように準備してないと右往左往することに。

そして右往左往して周囲を一回転している時のキャプチャがこちら。
周りを見渡して周囲に一般客がいなくて焦る。

しかし、おかげで近くからの迫力のある映像を撮影することが出来た。
この動画④は一番見どころがつまった動画かもしれない。
この動画はぜひ見てほしいところ。

その後、神輿はボッコボコに壊されながら御旅山へと向かいました。



NEXT↓
その3、「牛スジ入りたこ焼きは美味い、の巻」へと続く 


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灘のけんか祭り観光ガイド(本宮)最初から最後まで、見どころ教えます!

2014年10月17日金曜日

2014年、灘のけんか祭りに行ってきた その1(動画①)神社一周してるだけで申し訳ない

この動画は720pのHDです。(この動画以外も全部720pか1080pで撮影してますが)
動画の右下の設定、画質から720pを選ぶと全画面でも十分綺麗に見えると思います。



2014年(平成26年)灘のけんか祭り、本宮に行ってきました。
上の動画は1番目の動画。
駅から歩いて松原八幡神社を一周しています。
時系列が別々のいくつかの動画を繋ぎ合わせているので、いきなり位置がズレたりしますが、ちゃんと一周してます。

この動画は屋台や神輿、神社もほとんど入ってません。
祭りの見せ場となるのは練り合わせですが、それ以外の祭り全体の雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。
個人的には目玉だけをパッと見るよりも、こうやって現場の空気を見て回るのも好きなのでこういう動画を作っています。




前に「灘のけんか祭りに行ってみたい」という内容のブログを書きましたが、その記事に「灘のけんか祭りについて知りたい!」、という人が沢山アクセスしてくれました。
が、結局、「行ってみたい!」という願望吐いてるだけの記事なわけで、知りたいことは何も書いてなくてがっかりしたでしょう。
いや、大変申し訳ない。
灘のけんか祭りについては事前に色々調べてはいました。しかし、上記記事でも書いたことですが、色々なブログや灘のけんか祭りの公式HP?を見ても、観光として行くうえで知っておきたい情報が少し抜けている感じで。
まさしく「痒いところに手が届かない」という感じ。
結局、自分でもあまり情報が仕入れられずに手探りなまま突入することになりました。
結果としては、それなりに満足な観光・撮影が出来ましたが、「事前にわかってたらなぁ」と思うことも多々とありました。
そういう面を中心にまとめた記事を書きたいと思っていますが、それは全ての動画を投稿し終わった後になると思います。
今のところ灘のけんか祭りの動画はPart③まで投稿していますが、少なくともPart⑦までは作れそうです。
見どころの多い祭りなので収録時間も伸びに伸び。
編集作業も伸びに伸び。
エンコード時間も伸びまくり。
今回は720pのHD動画での撮影にしておきましたが、1080pのフルHD動画での撮影&フルHDエンコードだったらエンコード地獄でPCもろとも私の精神もこの世とおさらばしていたでしょう。
720pでも20分近い動画だと結局それなりに時間もかかるので、どちらにしろ全ての動画を投稿し終わるまでに一週間ほどかかるかもしれませんが。




NEXT↓
その2、「動画④は見所一杯」へと続く

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2014年10月13日月曜日

英賀神社・英賀城跡2 黒田官兵衛と英賀

←1からの続き





引き続き英賀神社・英賀城跡の動画です。
動画②が英賀神社内。
動画③が英賀城跡です。



門(内側から)
鳥居を抜けた先にあるのがこの門。
もうすぐ祭なので、色々綺麗にしてあったのかも。




門を抜けた先には色々と祀られています。


手水舎と馬、


の尻。


そして英賀神社。
西側を斜めから。


前から。


内部。
奉納された絵などが天井に飾られていますが、多すぎて撮影しきれず。
年代はまちまちで、古いのもあれば平成年代のもありました。


神社の裏面です。


何かの石碑。
誰かに見せるための動画と最初から決めて撮影してたら、動画での見た目を考えてしまって、こういう端にあるものの詳細を見落としてしまうから難しい。
動画と写真の両方を考えていると、動画の撮影後に写真の撮影のためにまた戻ったり。
じゃあ動画からキャプチャすればいいかとも思ったけど。そうすると、あっちにふらふらこっちにふらふらした動画になっちゃうから、それだと動画としてあまりよろしくない。
色々難しい。
まぁ言い訳なんですけどね。


英賀城土塁跡。
石碑があります。
木が生い茂っていて、かなり侵食されています。


土塁上にあった祠。





『軍師官兵衛』の中でも描かれていたが、当時この地域は本願寺の勢力圏であり、英賀城主、三木通秋も熱心な本願寺門徒だった。
その影響で本願寺を支援する毛利側へと流れ、毛利軍を引き入れて英賀合戦を誘発。
この英賀合戦の翌年、織田家家臣の荒木村重や別所家など播磨の主だった勢力が織田側から毛利側へと寝返る。
三木氏はそれを支援する形で織田家との対立を強め。同じ頃、荒木村重を説得に走った黒田官兵衛が捕らえられて1年間幽閉されることになる。
その後、黒田官兵衛は助けだされ、羽柴秀吉の元で播磨平定に動く。
その時に秀吉や黒田官兵衛によって攻略された城の一つがこの英賀城となります。
英賀城は落城し、城や当時播磨一と言われた城下町も全て焼失しました。
三木通秋は九州へと落ち延びますが、2年後に秀吉に許されて英賀の地に戻ったとか。

元々、三木通秋の家臣が黒田官兵衛の妹を嫁に貰っており、姫路城とは目と鼻の先ということもあって黒田家とは浅からぬ関係。
土器山の戦いでは黒田家側で参戦して黒田官兵衛を救うなど、 基本的には黒田側に近い家。
小寺家(黒田家の主家)が本願寺と対立した織田信長に付き、 本願寺門徒として織田側には付けなかったために織田家と対立しただけ、というのが早々に許された理由かもしれません。

しかし、軍師官兵衛では『家の娘を人質として嫁にやる』というところにスポットを当てたわりに、三木の家臣に嫁いだ黒田官兵衛の妹についてはさっぱり触れてなかった気がします。
というか三木氏自体が出てきてないような気がしますが。








さて、動画③のほうでは石垣を見に行ったわけですが、半周したあたりでカットしてます。
小学生が野球してたので近づくのは危ないかなと思ったのもあるけど、あの後すぐに小学生くらいの女の子に話しかけられたのでカットせざるを得なくなった、というのが大きいです。
いや、まぁそれは何の問題もないのですが……。

最近、兵庫県では女児が被害に遭う痛ましい事件も起きました。
そしてこの撮影の数日前。この近くの小学校で学校に石が投げ込まれてガラスが割られる事件が起きています。
恐らく警察ではパトロールを強化しているでしょう。
まぁぶっちゃけると、ちょっと怖かったという話です。
こっちは、『カメラ撮影しながら住宅街や公園をうろちょろしてる見かけない男』ですからね。
怪しいと思われるのは重々承知。
youtubeにこういう外の動画をアップロードしている人の中には職質される人も少なくないみたいだし。
男児ならともかく、女児は物凄く怖い。
ただでさえ怪しいのに、余計にあらぬ疑いを持たれかねない。
ということで、嫌な世の中になったな、という話でした。

2014年10月11日土曜日

英賀神社・英賀城跡、散策1 黒田官兵衛の名を広めるきっかけとなった場所



姫路市内にある黒田官兵衛ゆかりの地を歩いてきました。
この動画は山陽電車夢前川駅から歩いて英賀神社に到着するまでです。
神社や城跡については次回にわけます。


この飾磨区にある英賀の地ですが、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で言うなら、
第10話 「毛利来襲」で浦宗勝が率いた毛利軍が上陸し、英賀合戦に発展した場所。
史実ならこの英賀城主だった三木通秋が毛利軍を迎え入れたことになっていますが、軍師官兵衛ではそのあたりはさっくりカットされて英賀城の存在から描かれていなかったと思います。
この時代の播磨は赤松家の衰退によって地域を統治する有力な大名がおらず、別所家と赤松家、そして小寺家(黒田家の主家)が有力で、それらを含めた各勢力が小競り合いを続けていたような状況。
この英賀城の三木氏など、その他小勢力の武将がクローズアップされないのは仕方がないと言えるかもしれない。


『軍師官兵衛』でも描かれましたが、黒田官兵衛は織田側として毛利の水軍と戦いますが、1000人の兵の半分を主家の居城である御着城を守るために取られ。わずか500の手勢で5000の毛利軍を撃退しました。
農民達にありったけの幟を持たせ、音をかき鳴らしながら後方から攻め立て、援軍が来たと錯覚させ、人数を水増ししてみせたとか。
この働きによって、ただの地方の小勢力の家老でしかなかった黒田官兵衛の名は策士として轟くことになりました。
この英賀の地はそういう地です。


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地図上の、
赤◯が『英賀神社』
青◯が『英賀城跡公園』
黒◯が『英賀城本丸跡』
緑◯が『山陽電車、夢前川駅』
になります。

動画では山陽電車夢前川駅から行ってます。
観光などで訪れる場合、地図には入ってませんが、北側にJR英賀保駅があり、城跡や神社に近いのはそちらかも。
その他にも、英賀城本丸跡の近くに毛利軍上陸地の石碑もあるはずなので、これらも一緒に見るなら山陽電車西飾磨駅からのほうが良いかもしれないです。


しかし、英賀神社内に英賀城土塁跡があり、ここまで離れて本丸跡があるってことは、このあたり一帯が英賀城だったのかもしれない。
英賀の町も英賀城も英賀城主の三木氏が毛利側に付いたために秀吉によって攻められて全て焼け落ちたそうなので、何も残っていないのが残念。
この時代では播磨三大城と呼ばれるほどの城だったとか。






さて、今回の英賀についての動画。
この①の動画には英賀神社も英賀城跡も入ってない。 ただ目的地へと歩くだけの動画。
本編は②と③の動画のほうと言ってもいい。
しかし、この①の動画については個人的に満足のいく出来だと思っている。
満足が出来たから普通ならカットするものを動画にしたと言ってもいいかも。

よく観光会社のツアーガイドさんが、
「家に着くまでが旅行です」
と言うが、まさにそれが言い得て妙であり。そしてそれとは少し違うかもしれないが、目的地までの道もまた旅行だと思う。
こういう観光地の写真や動画を撮ると、やっぱり観光スポットをピンポイントで写したものになりがちだけど、こうやって田舎の駅からスタートして、グダグダしつつ目的地にたどり着くのもまた旅行。
個人的には、目的地に着いて目的の綺麗な場所を綺麗な角度からパッと撮影して終わり、という動画にはしたくない。
見てる人が一緒に旅行している気分になれる動画にしたい。

しかしながら、長ったらしい動画を作っても、視聴者を飽きさせたら即ブラウザバックされてしまう。
今のyoutubeには細かいアナリティクス機能が付いていて、その動画が何分ほど視聴されたのかがわかってしまう。
理解出来てしまうから難しい。
そんな中で試行錯誤した動画がこれ。
とりあえず色々やりつつも自分が作りたい動画は大体出来たんじゃないかと思う。
これが吉と出るか凶と出るかはわからないが、この動画作りの方向性は維持したいな。




次へ続く→
英賀神社・英賀城跡、散策②