怪談、播州皿屋敷に登場するお菊を祀ったお菊神社です。
お菊神社、と言いましたが、位置的には十二所神社の内側にある感じですね。
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場所はここ。
JR姫路駅の北口を出て、大手前通りを北進。
最初の大通り、十二所線で左折して数百メートルです。
駅からのアクセスなら山陽姫路駅の北側の道を西へ進んだほうが早いですが、大通りを通ったほうがわかりやすいと思います。
さて、Wikipediaによると、十二所神社は928年(延長6年)疫病に苦しんでいたところに十二本の蓮が生え、そこに現れた少彦名神がその蓮で疫病を治療するようにと神託を下したことが始まり。
そして現在の位置には1175年(安元元年)に遷座されたそうな。
かなり歴史のある神社ですが、今の十二所神社は第二次大戦中の空爆で燃えて縮小されたとのこと。
建物としては新しいんでしょうね。
十二所神社、東側の鳥居。
十二所神社は東、南、北と三箇所の入り口があります。
十二所神社、本殿。
十二所神社、南側の鳥居。
内側から。
外側から。
そしてこれが肝心のお菊神社。
位置的には北側の鳥居側にあります。
以下、姫路市HPから引用。
永正年間のこと、城主小寺則職の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴 きます。しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾 四郎に気づかれてしまい、それを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠 し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるよう になったといいます。
その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。
とのこと。
ちなみに、この城主小寺則職とは、大河ドラマ「軍師官兵衛」にも出てくる小寺政職(演:片岡鶴太郎)の父だそうです。
このお菊神社に関しては、江戸時代には既に存在していた、という話ですが、実際にどれだけ昔からあったものなのかは謎。
江戸中期の浄瑠璃の中にお菊神社に関する言及があるため、その頃にはお菊が祀られていたのは確定らしいが、戦国時代まで遡るのは不可能だとか。
斜めから撮影。
お菊神社の由来を説明した石碑。
北側の鳥居から撮影。
今回お菊神社に行ったことで、播州皿屋敷、お菊伝説について改めて色々調べてみようと思い立った。
兵庫県民としては、お菊伝説=姫路城にあるお菊井戸が舞台となった怪談だという認識だったけども。
実際のところ、皿屋敷伝説を調べてみると、全国に類似する伝説が数多くあり、関東のほうでは番町皿屋敷という名前で知られていて、江戸時代から芝居の演目として使われているんだとか。
この番町皿屋敷では江戸、つまり東京が舞台とされているために、皿屋敷伝説は東京発祥だとする説もあったり。
そもそも、どの話も実際の歴史と当てはめてみると微妙に合わない点があったり。
実際のところ、どれが発祥なのかは難しいらしいですが。
この姫路の播州皿屋敷が一番古くて、全ての皿屋敷伝説の元となったとする説が一番有力ではあるそうです。
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