引き続き英賀神社・英賀城跡の動画です。
動画②が英賀神社内。
動画③が英賀城跡です。
門(内側から)
鳥居を抜けた先にあるのがこの門。
もうすぐ祭なので、色々綺麗にしてあったのかも。
門を抜けた先には色々と祀られています。
手水舎と馬、
の尻。
そして英賀神社。
西側を斜めから。
前から。
内部。
奉納された絵などが天井に飾られていますが、多すぎて撮影しきれず。
年代はまちまちで、古いのもあれば平成年代のもありました。
神社の裏面です。
何かの石碑。
誰かに見せるための動画と最初から決めて撮影してたら、動画での見た目を考えてしまって、こういう端にあるものの詳細を見落としてしまうから難しい。
動画と写真の両方を考えていると、動画の撮影後に写真の撮影のためにまた戻ったり。
じゃあ動画からキャプチャすればいいかとも思ったけど。そうすると、あっちにふらふらこっちにふらふらした動画になっちゃうから、それだと動画としてあまりよろしくない。
色々難しい。
まぁ言い訳なんですけどね。
英賀城土塁跡。
石碑があります。
木が生い茂っていて、かなり侵食されています。
土塁上にあった祠。
『軍師官兵衛』の中でも描かれていたが、当時この地域は本願寺の勢力圏であり、英賀城主、三木通秋も熱心な本願寺門徒だった。
その影響で本願寺を支援する毛利側へと流れ、毛利軍を引き入れて英賀合戦を誘発。
この英賀合戦の翌年、織田家家臣の荒木村重や別所家など播磨の主だった勢力が織田側から毛利側へと寝返る。
三木氏はそれを支援する形で織田家との対立を強め。同じ頃、荒木村重を説得に走った黒田官兵衛が捕らえられて1年間幽閉されることになる。
その後、黒田官兵衛は助けだされ、羽柴秀吉の元で播磨平定に動く。
その時に秀吉や黒田官兵衛によって攻略された城の一つがこの英賀城となります。
英賀城は落城し、城や当時播磨一と言われた城下町も全て焼失しました。
三木通秋は九州へと落ち延びますが、2年後に秀吉に許されて英賀の地に戻ったとか。
元々、三木通秋の家臣が黒田官兵衛の妹を嫁に貰っており、姫路城とは目と鼻の先ということもあって黒田家とは浅からぬ関係。
土器山の戦いでは黒田家側で参戦して黒田官兵衛を救うなど、 基本的には黒田側に近い家。
小寺家(黒田家の主家)が本願寺と対立した織田信長に付き、 本願寺門徒として織田側には付けなかったために織田家と対立しただけ、というのが早々に許された理由かもしれません。
しかし、軍師官兵衛では『家の娘を人質として嫁にやる』というところにスポットを当てたわりに、三木の家臣に嫁いだ黒田官兵衛の妹についてはさっぱり触れてなかった気がします。
というか三木氏自体が出てきてないような気がしますが。
さて、動画③のほうでは石垣を見に行ったわけですが、半周したあたりでカットしてます。
小学生が野球してたので近づくのは危ないかなと思ったのもあるけど、あの後すぐに小学生くらいの女の子に話しかけられたのでカットせざるを得なくなった、というのが大きいです。
いや、まぁそれは何の問題もないのですが……。
最近、兵庫県では女児が被害に遭う痛ましい事件も起きました。
そしてこの撮影の数日前。この近くの小学校で学校に石が投げ込まれてガラスが割られる事件が起きています。
恐らく警察ではパトロールを強化しているでしょう。
まぁぶっちゃけると、ちょっと怖かったという話です。
こっちは、『カメラ撮影しながら住宅街や公園をうろちょろしてる見かけない男』ですからね。
怪しいと思われるのは重々承知。
youtubeにこういう外の動画をアップロードしている人の中には職質される人も少なくないみたいだし。
男児ならともかく、女児は物凄く怖い。
ただでさえ怪しいのに、余計にあらぬ疑いを持たれかねない。
ということで、嫌な世の中になったな、という話でした。
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